172年目の日本再起動
外来思想の海を越えて、心のOSを取り戻すために
ペリーの黒船が浦賀に姿を現してから、172年。
この国は、西洋列強の波に揉まれながらも、かろうじて「國體」という名の船底を守り抜いてきた。
だが、その羅針盤はいつの間にか外来の思想に奪われ、
勤労感謝の日に、新嘗祭の祈りを忘れ、
私たちは自らの方角を見失いつつある。
自然に頭を垂れるかわりに、効率を神と呼ぶ。
“便利”と“進歩”の名のもとに、
日本人の足の裏――大地とのつながりを置き去りにしてしまった。
けれど、解は案外、近くにある。
外来の思想を「辞書」に戻せばいいのだ。
リベラルも保守も、右も左も、
人を理解するための単語帳にすぎない。
行動の規範ではなく、世界を観察するためのツール。
それ以上でも、それ以下でもない。
では、何を中心に据えるか。
それは――「日本語で考える自分」である。
言葉の“間(ま)”に宿る沈黙、
語られぬ情に込められた意味。
「自由」とは、我を通すことではなく、
他者を思いやる節度の名だった。
その感性こそが、日本人のOS、
すなわち“心の設計図”だ。
日本の文化は、対立ではなく融和を基調としている。
神仏習合に象徴されるように、異なるものを共に在らしめる知恵。
山にも石にも魂を見いだすアニミズム的感性。
そして、先人や祖霊への静かな畏敬の念。
それらが、この国の深層で脈々と生き続けている。
いま私たちに必要なのは、
「外来」と「在来」を対立させるのではなく、共鳴させる力だ。
民主主義を「和を以て貴しとなす」と訳し直し、
人権を「他者を思いやる義」として再定義する。
外来の言葉をそのまま信奉するのではなく、
日本語の文脈で翻訳し、再構築していく。
ペリー来航から172年。
外の文明に憧れる時代は終わった。
これからは、内なる文化を再起動させる時代だ。
私たちの心に響く“起動音”は、
英語でもフランス語でもなく、
神々と自然と祖霊を結ぶ――日本語の祈りの響きである。
その音を取り戻したとき、
この国は再び、静かに、強く、美しく目を覚ますだろう。
