泥水で足を洗う
泥水で足を洗う時代に
何かがもう終わろうという今日この頃、参院選とその後の世間を見渡しては、つい溜息がこぼれる。情報のゴミがネットにあふれ、それに輪をかけて、自分の頭の中までゴミだらけ。もはや「思考のデトックス」が日課でなければ、精神の健康すら保てない時代になってしまった。
この国ときたら、中央から地方まで、行政のあらゆる隅々が利権のネットワークにがんじがらめ。国民の税金は途中で中抜きされ、残飯のような恩恵だけが庶民に回ってくる。結果、日本という船は沈みはしないが、泥沼に足を取られ、浮かび上がれずにいる。
街を見渡せば、魑魅魍魎が我が物顔で闊歩している。ここで言う魑魅魍魎とは、何も外国人だけを指すわけではない。インバウンドで一儲けしようとする業界人、帰化した隣国出身者、クルド人を筆頭に不法就労に手を染める者たち。そしてそれに便乗して荒稼ぎする“内なる日本人”たち──彼らもまた、見事なまでにこの国を濁らせている。
だが、怒りを向ける先は彼らだけではない。本当に日本を蝕んでいるのは、2000年の歴史を食い荒らしながらも「自分は日本人だ」と涼しい顔をする“新型日本人”たちである。彼らは、外からやって来た思想や権力と手を取り合い、気づかぬうちに原日本人を隅へと追いやってきた。
明治維新の志士たちは理想を掲げたが、その子孫たちは利権に群がり、今では立派な既得権益者。さらに戦後の占領政策において生まれた「戦後利権」の2世3世が、また別の魑魅魍魎として登場し、勝手にこの国の運転席に座っている。
勘違いと欲望の連鎖反応が、この国の清流を濁流に変えた。だが、歴史を振り返れば、日本は何度も自浄作用を起こしてきた。皇族の内紛も、戦国の戦も、すべては“リセットボタン”だった。もしかすると、今またその時期が来ているのかもしれない。
H.G.ウェルズの『宇宙戦争』では、地球人が何もしなくても、侵略者は勝手に滅んだ。あれは案外、歴史を学んだ作家による、日本の未来への皮肉だったのかもしれない。
泥水は飲むものではない。足を洗うためのものだ。そう中国の古典は教えている。今こそ、この国もそろそろ足を洗う時が来たのだ。